2018年6月13日水曜日

【報告】2018.6.8一審判決の事実認定等の問題点を指摘した木暮意見書(4)を提出

一審判決の事実認定等の問題点を指摘した東京大学の木暮一啓教授の意見書(4)を2018年6月8日、高裁に提出しました。

今回の木暮意見書のエッセンスは次のくだりに要約されています。

 一読して驚かされたのは、一審裁判所に提出した私の意見書(甲6同7同64)が何等かの形で検討された形跡が全く見られない、ということです。裁判というのはこういうものなのでしょうか。

 人権の最後の砦である裁判所は、この問いにどう応えるのでしょうか。
 以下、意見書(4)の全文です。そのPDFは-->こちら 

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意見書 ()
  

木 暮 一 啓

2018年6月6日

目 次
第1、略歴
第2、はじめに
第3、「学術研究の常識」について
1、論文の「共著者」に名を連ねた人は何をした人か
2、研究プロジェクトをどのように進めるか
3、実験計画書・実験報告書(甲48の10等)の「実験従事者」の意味
4、実験ノート
第4、終わりに

このたび、一審判決を読む機会がありましたので以下にその感想を陳述します。

第1、略歴
 私の意見書(甲6)の第1に記載の通りです。
 2018年3月31日に東京大学大気海洋研究所を定年退職しましたが、現在客員教授として引き続き研究に携わっています

第2、はじめに
一読して驚かされたのは、一審裁判所に提出した私の意見書(甲6・同7・同64)が何等かの形で検討された形跡が全く見られない、ということです。裁判というのはこういうものなのでしょうか。
私はこれまで30年余り、第一線の研究者として世界とやりとりをしてきており、学術の世界の国内外の潮流を完全に理解し、活動してきたつもりです。上記の意見書もそうした観点からいわば「学術研究の常識」に沿って書いています。その意見書がほぼ無視されたということは、今回の判決が「学術研究の常識」からかなり逸脱している、ということに他なりません。その意味で、後に“前時代的な判決”と評価されても仕方ないでしょう。
 判決を読み、「学術研究の常識」について中でも強く感じたことを以下に書き出します。
 
第3、「学術研究の常識」について
1、論文の「共著者」に名を連ねた人は何をした人か
論文の「共著者」に名を連ねた人は何をした人かという問題は、ある研究プロジェクトへの参画をどのようにして判断するか、という問題です。
もし学術論文や報告書の共著者・執筆者の中に名前が入っていれば、その人はその論文・報告書の研究に主体的に関わった、と考えるのが基本的な見方です。つまりその研究内容、実験データなどに責任をもつことになり、例えばもし後になってその論文の内容に何らかの形の疑義が出た場合、その問題から免れ得ない。逆に言えば、名前が入っている以上、実験材料を提供しただけで実験そのものには関わっていない、というような言い訳は許されません。
従って、論文(乙17)に記載された抗菌活性実験は、論文の「共著者」であり植物病理学の専門家である平八重氏が担当したと考えるのが常識です。単に材料を提供しただけで自分は関わっていない、という考えは通用しません。
これに対し、平八重氏は、抗菌活性実験はマイクロプレートリーダーを使った実験であるから、分子生物学分野の極めて一般的な実験であり、植物病理学の実験ではないと述べています(乙16陳述書。6頁下から11行目以下)。
確かに、マイクロプレートリーダーの操作自体はそれほど難しい機器ではありません。操作の基本は大腸菌でもカビでも同じでしょう。しかし、難しいのは機器の操作ではなく、抗菌活性実験を行うための実験系の設定にあります。例えば、いもち病菌の濃度を当初どの程度に設定すればよいか、他方、ディフェンシンの濃度をそれに合わせてどの程度に設定するのが適当か、実験が数日に渡る場合には、その間の培養条件の設定、どのような結果が出た時点で実験を終了とするべきかという判断、実験データの整理と統計処理を使ったその判定等々をどのように決めたらよいのか。これらは単にマイクロプレートリーダの操作が分かる者だからいってできることではありません。そのためには、いもち病菌等の植物病理学の専門知識、植物病理に関する経験に基づくノウハウが必要になります。つまり、抗菌活性実験も植物病理学の専門知識・ノウハウを備えた者が実施することが必要なのです。単にマイクロプレートリーダの操作が分かるからということで、植物病理学の専門知識・ノウハウを備えていない者に抗菌活性実験を任せるということはあり得ません(甲64木暮意見書(3)3~4頁)。
 
2、研究プロジェクトをどのように進めるか
(1)、現代の自然科学系の研究プロジェクトの殆どは複数の研究員あるいは技術者による研究プロジェクト(以下、共同研究という)です。一般に、どんな共同研究でも、その目的の達成のためには、そこに関わる研究員あるいは技術者がチームを組み、相互の役割分担を明確にしながら、連絡を取り合い、あるいは直接会って議論を重ねながら、無駄なく必要な実験や調査を行うことが基本です。研究プロジェクトでは時間的なロスを省きながら再現性の高いデータを得ることが求められ、そのためには、重要な部分はその部分の専門分野の技術を持つ人が一貫して担当し、たとえその人が複数の研究員とでやったとしても一緒に実験を行って技術の一貫性を確保するのが基本です。
(2)、従って、抗菌活性実験も耐病性評価実験も植物病理学の専門知識・ノウハウを備えた者が実施する実験ですから、共同研究でこれらの実験を行なう場合、植物病理学の専門家が実施することが必要であり、合理的です。
 実際にも、平八重氏の陳述書には(乙16。9頁4)、「発病の評価については、どのようなものを病斑とみなすのか、病斑の面積をどのように評価するのかなど、豊富な経験に基づく知識や技術がないと適切に行うことができません。」と書かれています。私自身、微生物の増殖パターンなどについてかなりの経験があるので断言できるのですが、この陳述には極めて説得力があります。他方で、こうした発病の評価を植物病理学の素人に任せることは技術的な観点からも、また一つの研究プロジェクトで再現性のある一貫したデータを取るという観点からもあり得ません。
 さらに、屋内の研究施設内におけるカビの実験は植物病理学の専門家でないと、カビの素人では困難ですから、共同研究でカビの実験を行なう場合、植物病理学の専門家が実施することが必要であり、合理的です。被控訴人が行なったディフェンシン遺伝子を導入した遺伝子組み換え稲の開発・栽培の研究プロジェクト(以下、本研究プロジェクトという)で屋内で実施されたカビ(いもち病菌)を使った抗菌活性実験・耐病性評価実験も、植物病理学の専門家である前任の中島敏彦氏、後任の平八重氏・園田氏が実施することが必要であり、合理的です。
(3)、前任者の実験データ等の引継ぎ
 既に提出した私の意見書(3)(甲64。8~9頁9)で詳しく述べましたが、学術の世界での常識から、一つの研究プロジェクトの途中で実験担当者が交代した場合、前任者が残した実験データなどを後任の研究者に引継ぎをしない、ということはあり得ません。従って、「引継ぎをしていなかった故に、前任者と後任者の実験等への関わりかたが同一ではなかった。それゆえ、たとえ前任者が抗菌活性実験・耐病性評価実験に関与したとしても後任者には関係がない」という考え方も成り立ちません。
 
3、実験計画書・実験報告書(甲48の10等)の「実験従事者」の意味
 2002年3月から実施された「組換えDNA実験指針」で、「実験従事者」というのは第1部総論、第1章総則、第2定義20で「組換え実験の実施に携わる者をいう」と定義されている通り、実験の実施に携わる者を意味します。「組換えDNA実験指針」、そしてこの指針が法制化されたいわゆるカルタヘナ法に基づいて実施された本研究プロジェクトの「実験計画書・実験報告書」(甲48の10等)の「実験従事者」も実験の実施に携わる者を意味します。他方、実験施設の管理をする場合は「管理者」として、実験を行わない場合には「見学者」として入室するのが通常のやり方です。従って、「実験計画書・実験報告書」の「実験従事者」に記載された平八重氏らはその計画書・報告書に書かれた実験の実施に携わった者です。
これに対し、平八重氏らは「実験従事者」とは、自ら実験を行う者に限らず、実験の材料を提供したり、実験の手法を伝授したり、実験に使用される施設を管理したりするといった形の関与であっても記載することがあり、あるいは、実際に実験を行う可能性があるにとどまる者についても記載することがあったと述べています(乙12。証人大島、証人平八重)。
しかし、「実際に実験を行う可能性があるにとどまる者」ではこれが具体的に誰を指すのか、その意味は不明ですし、さらにそのような者を「記載することがあった。」というのもどのような場合に記載するのか、或いはしないのかも曖昧です。本来、こうした実験施設には実験の実施に関する明確な規定があるはずですが、平八重氏らの証言によれば、本研究プロジェクトでその明確な規定に準拠した対応をしたとは考えにくいし、かといって、その規定がないということも考えにくい。こうした極めて曖昧な平八重氏らの証言に基づいて裁判所が「実験計画書・実験報告書」(甲48の10等)の「実験従事者」の意味を被控訴人の言うままに判断するのは合理的とは言えません。
 
4、実験ノート
(1)、実験ノートの性質について 
 現在、実験の実施やデータに関わるあらゆる資料はその研究機関に所属するとの考え方が基本となっています。従って、研究機関に所属する実験データが記録された実験ノートを「専ら当該職員の判断で処分できる性質の文書である」という考え方は成立する余地がありません。もし、職員個人の自由な処分を認めたら、「実験データは研究機関に所属する」ことを否定するにひとしいことになります。
(2)、実験ノートの作成目的
 既に提出した私の意見書(3)(甲64第3、1。4~5頁)で詳しく述べましたが、そこで実験ノートの作成目的について次のように指摘しました。
《自然科学系の研究者がやることというのは、一般に、仮説を立て、それに基づいて実験計画を立て、実験を実施し、データを得て記録し、その得られたデータから何が言えるか、とりわけ仮説が検証されるかどうかを考察し、それらをまとめて論文として発表することです(勿論、仮説のない観察的な論文もあります)。多くの研究者は、研究の大部分を実験ノートの中に記載しています。つまり研究の最も本質的な部分は実験ノートの中に凝縮されているとも言える》(4頁下から11~4行目)
 これに対し、大島氏は、法廷で、実験ノートを作成する目的は「備忘のため」あるいは「他人にそのまま見せることを前提とせずに」と証言しました。
しかし、大島氏のこの証言は実験ノートの本質からかけ離れています。なぜなら、学術の世界は、再現性のあるデータの蓄積の上に成り立っていて、それをいわば保証するのが実験ノートだからです。つまり実験ノートは「忘れるといけないからつける」のではなく、こうした学術の基本を成り立たせ、結果の客観性を保証するためにつけるのです。なおかつ、データに疑義が生じた場合には、4年前のスタップ細胞問題でもそうだったように、実験ノートを他人にそのまま見せ(公開)、検証することによってのみデータの疑義に対する結果が保証されるのです。
(3)、実験ノートの作成状況(ノートの購入者の問題)
 「実験ノートを誰が購入したのか」という論点は全く無意味です。なぜなら、購入者によって実験ノートが本来持っている重要性、意義に変わりがあるわけではないからです。つまり実験ノートに記されている内容はそれを購入した者に帰するものではありません。実際、現在でも多くの研究機関は必ずしも機関としてノートを購入、供給してはおらず、研究者に購入を一任しています。これは研究者によってノートの体裁などに好みがあるからです。
   
第4、終わりに 
 以上、私が信ずる「学術研究の常識」について書き出しましたが、微妙な点で分かりにくいところがあったかもしれません。そうしたことについては、さらに法廷で、私の言わんとすることを分かりやすく証言し、また不明点・疑問点について裁判官や被控訴人代理人から直接お尋ねいただけたら、忌憚のない証言をする予定です。
以 上

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