2018年6月13日水曜日

【報告】2018.6.8木暮意見書(4)等の証拠提出に関する準備書面(1)の提出と木暮教授の証人尋問の申請

2018年6月18日、木暮意見書(4)その他の証拠提出に関する準備書面(1)と木暮教授の証人尋問の申請を提出しました。

以下、準備書面(1)の全文です。そのPDFは-->こちら
 木暮教授の証人尋問申請の書面は-->こちら

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平成30年(行コ)第91号 法人文書不開示処分取消請求控訴事件   
控訴人  レペタ・ローレンス
被控訴人  国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構

控訴人準備書面(1)
2018年 月 

東京高等裁判所第14民事部  御中

控訴人訴訟代理人 弁護士  古 本  晴 英

同        弁護士   柳原 敏

                            同       弁護士  神 山  美智

同       弁護士  船  江     佳

目 次

1、書証の提出


 当審において、以下の2つの書証を提出する。
①.木暮意見書(4)(甲68)
 実験ノートの作成・利用・保存の実態及び抗菌活性実験・耐病性評価実験の実施者は誰か等について、原審において3通の意見書(甲6・同7・同64)を作成・提出した木暮一啓東京大学教授((以下、木暮教授という)が、原判決の事実認定に対する意見を述べた意見書(4)を作成したので提出する。
 その趣旨は、木暮教授が《これまで30年余り、第一線の研究者として世界とやりとりをしてきており、学術の世界の国内外の潮流を完全に理解し、活動してきた》観点からいわば「学術研究の常識」に沿って作成し提出した意見書に対して、原判決は《何等かの形で検討された形跡が全く見られない》という驚きについてであり、
そこで、再度、木暮教授が確信する「学術研究の常識」に沿って、本研究プロジェクトにおける抗菌活性実験・耐病性評価実験(以下、総称して本実験という)の実施者は誰か及び実験ノートの作成・利用・保存の実態について検討した時、原判決の本実験の事実認定及び「組織共用文書」該当性の判断は経験則に違反し到底維持できないものであることを明らかにしたものである。
 木暮意見書(4)が指摘した「学術研究の常識」の問題を法的に言えば、
第1に、本実験の事実認定及び「組織共用文書」に適用する具体的事実の認定において適用すべき「学術研究の常識」とは何か、言い換えると特殊専門的な経験則とは何かという問題であり
第2に、本実験の事実認定及び「組織共用文書」に適用する具体的事実の認定に当該特殊専門的な経験則を正しく適用した場合いかなる結果となるかという問題である。
 
②.論文「Mitotic progression following DNAdamage enables pattern recognition within micronuclei」(nature〔2017年8月24日Vol.548〕掲載。甲69)

 近時のnatureCellといった一流誌の論文では、文末のAuthor Contributions(著者の貢献)の欄に、共著者のうち誰が何を分担したのかを明記することになっている。それによれば、単に「実験材料を提供」又は「実験方法・評価方法を指導・伝授」にとどまる者は特別な場合を除いて共著者にはなれず、Acknowledgement(謝辞)の欄に記載される。それは、原審で甲84木暮意見書(3)でも次のように述べた通りであるが、
菌など実験の材料の提供者は、例えばその菌が世界で初めて分離したもの、あるいは他の株には見られないような特殊な性質を持っている、あるいは提供者が作りだした特有の性質を示す遺伝的変異体、といった特殊性を作りだした提供者外は、論文の共著者として名前は載らず、謝辞でその旨を述べるのが普通です。》(3頁2~6行目)
 今般、その実例として、natureの論文(甲69)を提出する。前記論文の文末のAuthor Contributions(著者の貢献)には、イニシャルで誰が何をしたか明示されており、誰が研究を立案したか、誰が論文を実際に執筆したか、誰がどの実験を行い、どのデータ(どの図表)を出したか分担役割が示されている。他方、Acknowledgement(謝辞)には、研究に協力してくれた人、実験材料を供与してくれた人、資金提供元などに対する感謝が述べられるが、この人たちは論文の著者にはならない。これが科学界のスタンダードすなわち「学術研究の常識」である。

2、人証の申出


 もとより、本件で問題になる経験則とは日常的な経験則ではなく、自然科学の特殊専門的な学識経験に属する経験則である。そのため、標準的裁判官が知っていることを期待できず、本件の特殊専門的な経験則の存在についてはこれを証明する必要がある。
この特殊専門的な経験則について、控訴人は控訴理由書で、原判決の誤りとして次の経験則違反を指摘した。
①.事実問題として、原判決の事実認定が経験則に違反すること。
 すなわち、平八重らは本実験を実施したかという事実認定において適用すべき特殊専門的な経験則の内容を正しく認定していないこと、及び当該特殊専門的な経験則を本実験の事実認定に正しく適用しなかったこと。
②.法律問題として、原判決の「組織共用文書」該当性の判断が経験則に違反すること。
 すなわち、「組織共用文書」に適用すべき具体的事実の認定において適用すべき特殊専門的な経験則の内容を正しく認定していないこと、及び当該特殊専門的な経験則を具体的事実の認定に正しく適用しなかったこと。
そこで、当審においては、上記①及び②の事実認定において適用すべき特殊専門的な経験則の内容とは何か及び当該特殊専門的な経験則を上記事実認定に正しく適用するといかなる結果となるかを証明する必要がある。この立証のために、原判決が採用した特殊専門的な経験則の誤りを指摘し、正しい特殊専門的な経験則とは何かを意見書(4)で示した木暮教授から法廷で直接、知見を確認することが必要かつ有益である。そこで、今般、木暮教授の証人尋問を申請した次第である。
以 上




【報告】2018.6.8一審判決の事実認定等の問題点を指摘した木暮意見書(4)を提出

一審判決の事実認定等の問題点を指摘した東京大学の木暮一啓教授の意見書(4)を2018年6月8日、高裁に提出しました。

今回の木暮意見書のエッセンスは次のくだりに要約されています。

 一読して驚かされたのは、一審裁判所に提出した私の意見書(甲6同7同64)が何等かの形で検討された形跡が全く見られない、ということです。裁判というのはこういうものなのでしょうか。

 人権の最後の砦である裁判所は、この問いにどう応えるのでしょうか。
 以下、意見書(4)の全文です。そのPDFは-->こちら 

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意見書 ()
  

木 暮 一 啓

2018年6月6日

目 次
第1、略歴
第2、はじめに
第3、「学術研究の常識」について
1、論文の「共著者」に名を連ねた人は何をした人か
2、研究プロジェクトをどのように進めるか
3、実験計画書・実験報告書(甲48の10等)の「実験従事者」の意味
4、実験ノート
第4、終わりに

このたび、一審判決を読む機会がありましたので以下にその感想を陳述します。

第1、略歴
 私の意見書(甲6)の第1に記載の通りです。
 2018年3月31日に東京大学大気海洋研究所を定年退職しましたが、現在客員教授として引き続き研究に携わっています

第2、はじめに
一読して驚かされたのは、一審裁判所に提出した私の意見書(甲6・同7・同64)が何等かの形で検討された形跡が全く見られない、ということです。裁判というのはこういうものなのでしょうか。
私はこれまで30年余り、第一線の研究者として世界とやりとりをしてきており、学術の世界の国内外の潮流を完全に理解し、活動してきたつもりです。上記の意見書もそうした観点からいわば「学術研究の常識」に沿って書いています。その意見書がほぼ無視されたということは、今回の判決が「学術研究の常識」からかなり逸脱している、ということに他なりません。その意味で、後に“前時代的な判決”と評価されても仕方ないでしょう。
 判決を読み、「学術研究の常識」について中でも強く感じたことを以下に書き出します。
 
第3、「学術研究の常識」について
1、論文の「共著者」に名を連ねた人は何をした人か
論文の「共著者」に名を連ねた人は何をした人かという問題は、ある研究プロジェクトへの参画をどのようにして判断するか、という問題です。
もし学術論文や報告書の共著者・執筆者の中に名前が入っていれば、その人はその論文・報告書の研究に主体的に関わった、と考えるのが基本的な見方です。つまりその研究内容、実験データなどに責任をもつことになり、例えばもし後になってその論文の内容に何らかの形の疑義が出た場合、その問題から免れ得ない。逆に言えば、名前が入っている以上、実験材料を提供しただけで実験そのものには関わっていない、というような言い訳は許されません。
従って、論文(乙17)に記載された抗菌活性実験は、論文の「共著者」であり植物病理学の専門家である平八重氏が担当したと考えるのが常識です。単に材料を提供しただけで自分は関わっていない、という考えは通用しません。
これに対し、平八重氏は、抗菌活性実験はマイクロプレートリーダーを使った実験であるから、分子生物学分野の極めて一般的な実験であり、植物病理学の実験ではないと述べています(乙16陳述書。6頁下から11行目以下)。
確かに、マイクロプレートリーダーの操作自体はそれほど難しい機器ではありません。操作の基本は大腸菌でもカビでも同じでしょう。しかし、難しいのは機器の操作ではなく、抗菌活性実験を行うための実験系の設定にあります。例えば、いもち病菌の濃度を当初どの程度に設定すればよいか、他方、ディフェンシンの濃度をそれに合わせてどの程度に設定するのが適当か、実験が数日に渡る場合には、その間の培養条件の設定、どのような結果が出た時点で実験を終了とするべきかという判断、実験データの整理と統計処理を使ったその判定等々をどのように決めたらよいのか。これらは単にマイクロプレートリーダの操作が分かる者だからいってできることではありません。そのためには、いもち病菌等の植物病理学の専門知識、植物病理に関する経験に基づくノウハウが必要になります。つまり、抗菌活性実験も植物病理学の専門知識・ノウハウを備えた者が実施することが必要なのです。単にマイクロプレートリーダの操作が分かるからということで、植物病理学の専門知識・ノウハウを備えていない者に抗菌活性実験を任せるということはあり得ません(甲64木暮意見書(3)3~4頁)。
 
2、研究プロジェクトをどのように進めるか
(1)、現代の自然科学系の研究プロジェクトの殆どは複数の研究員あるいは技術者による研究プロジェクト(以下、共同研究という)です。一般に、どんな共同研究でも、その目的の達成のためには、そこに関わる研究員あるいは技術者がチームを組み、相互の役割分担を明確にしながら、連絡を取り合い、あるいは直接会って議論を重ねながら、無駄なく必要な実験や調査を行うことが基本です。研究プロジェクトでは時間的なロスを省きながら再現性の高いデータを得ることが求められ、そのためには、重要な部分はその部分の専門分野の技術を持つ人が一貫して担当し、たとえその人が複数の研究員とでやったとしても一緒に実験を行って技術の一貫性を確保するのが基本です。
(2)、従って、抗菌活性実験も耐病性評価実験も植物病理学の専門知識・ノウハウを備えた者が実施する実験ですから、共同研究でこれらの実験を行なう場合、植物病理学の専門家が実施することが必要であり、合理的です。
 実際にも、平八重氏の陳述書には(乙16。9頁4)、「発病の評価については、どのようなものを病斑とみなすのか、病斑の面積をどのように評価するのかなど、豊富な経験に基づく知識や技術がないと適切に行うことができません。」と書かれています。私自身、微生物の増殖パターンなどについてかなりの経験があるので断言できるのですが、この陳述には極めて説得力があります。他方で、こうした発病の評価を植物病理学の素人に任せることは技術的な観点からも、また一つの研究プロジェクトで再現性のある一貫したデータを取るという観点からもあり得ません。
 さらに、屋内の研究施設内におけるカビの実験は植物病理学の専門家でないと、カビの素人では困難ですから、共同研究でカビの実験を行なう場合、植物病理学の専門家が実施することが必要であり、合理的です。被控訴人が行なったディフェンシン遺伝子を導入した遺伝子組み換え稲の開発・栽培の研究プロジェクト(以下、本研究プロジェクトという)で屋内で実施されたカビ(いもち病菌)を使った抗菌活性実験・耐病性評価実験も、植物病理学の専門家である前任の中島敏彦氏、後任の平八重氏・園田氏が実施することが必要であり、合理的です。
(3)、前任者の実験データ等の引継ぎ
 既に提出した私の意見書(3)(甲64。8~9頁9)で詳しく述べましたが、学術の世界での常識から、一つの研究プロジェクトの途中で実験担当者が交代した場合、前任者が残した実験データなどを後任の研究者に引継ぎをしない、ということはあり得ません。従って、「引継ぎをしていなかった故に、前任者と後任者の実験等への関わりかたが同一ではなかった。それゆえ、たとえ前任者が抗菌活性実験・耐病性評価実験に関与したとしても後任者には関係がない」という考え方も成り立ちません。
 
3、実験計画書・実験報告書(甲48の10等)の「実験従事者」の意味
 2002年3月から実施された「組換えDNA実験指針」で、「実験従事者」というのは第1部総論、第1章総則、第2定義20で「組換え実験の実施に携わる者をいう」と定義されている通り、実験の実施に携わる者を意味します。「組換えDNA実験指針」、そしてこの指針が法制化されたいわゆるカルタヘナ法に基づいて実施された本研究プロジェクトの「実験計画書・実験報告書」(甲48の10等)の「実験従事者」も実験の実施に携わる者を意味します。他方、実験施設の管理をする場合は「管理者」として、実験を行わない場合には「見学者」として入室するのが通常のやり方です。従って、「実験計画書・実験報告書」の「実験従事者」に記載された平八重氏らはその計画書・報告書に書かれた実験の実施に携わった者です。
これに対し、平八重氏らは「実験従事者」とは、自ら実験を行う者に限らず、実験の材料を提供したり、実験の手法を伝授したり、実験に使用される施設を管理したりするといった形の関与であっても記載することがあり、あるいは、実際に実験を行う可能性があるにとどまる者についても記載することがあったと述べています(乙12。証人大島、証人平八重)。
しかし、「実際に実験を行う可能性があるにとどまる者」ではこれが具体的に誰を指すのか、その意味は不明ですし、さらにそのような者を「記載することがあった。」というのもどのような場合に記載するのか、或いはしないのかも曖昧です。本来、こうした実験施設には実験の実施に関する明確な規定があるはずですが、平八重氏らの証言によれば、本研究プロジェクトでその明確な規定に準拠した対応をしたとは考えにくいし、かといって、その規定がないということも考えにくい。こうした極めて曖昧な平八重氏らの証言に基づいて裁判所が「実験計画書・実験報告書」(甲48の10等)の「実験従事者」の意味を被控訴人の言うままに判断するのは合理的とは言えません。
 
4、実験ノート
(1)、実験ノートの性質について 
 現在、実験の実施やデータに関わるあらゆる資料はその研究機関に所属するとの考え方が基本となっています。従って、研究機関に所属する実験データが記録された実験ノートを「専ら当該職員の判断で処分できる性質の文書である」という考え方は成立する余地がありません。もし、職員個人の自由な処分を認めたら、「実験データは研究機関に所属する」ことを否定するにひとしいことになります。
(2)、実験ノートの作成目的
 既に提出した私の意見書(3)(甲64第3、1。4~5頁)で詳しく述べましたが、そこで実験ノートの作成目的について次のように指摘しました。
《自然科学系の研究者がやることというのは、一般に、仮説を立て、それに基づいて実験計画を立て、実験を実施し、データを得て記録し、その得られたデータから何が言えるか、とりわけ仮説が検証されるかどうかを考察し、それらをまとめて論文として発表することです(勿論、仮説のない観察的な論文もあります)。多くの研究者は、研究の大部分を実験ノートの中に記載しています。つまり研究の最も本質的な部分は実験ノートの中に凝縮されているとも言える》(4頁下から11~4行目)
 これに対し、大島氏は、法廷で、実験ノートを作成する目的は「備忘のため」あるいは「他人にそのまま見せることを前提とせずに」と証言しました。
しかし、大島氏のこの証言は実験ノートの本質からかけ離れています。なぜなら、学術の世界は、再現性のあるデータの蓄積の上に成り立っていて、それをいわば保証するのが実験ノートだからです。つまり実験ノートは「忘れるといけないからつける」のではなく、こうした学術の基本を成り立たせ、結果の客観性を保証するためにつけるのです。なおかつ、データに疑義が生じた場合には、4年前のスタップ細胞問題でもそうだったように、実験ノートを他人にそのまま見せ(公開)、検証することによってのみデータの疑義に対する結果が保証されるのです。
(3)、実験ノートの作成状況(ノートの購入者の問題)
 「実験ノートを誰が購入したのか」という論点は全く無意味です。なぜなら、購入者によって実験ノートが本来持っている重要性、意義に変わりがあるわけではないからです。つまり実験ノートに記されている内容はそれを購入した者に帰するものではありません。実際、現在でも多くの研究機関は必ずしも機関としてノートを購入、供給してはおらず、研究者に購入を一任しています。これは研究者によってノートの体裁などに好みがあるからです。
   
第4、終わりに 
 以上、私が信ずる「学術研究の常識」について書き出しましたが、微妙な点で分かりにくいところがあったかもしれません。そうしたことについては、さらに法廷で、私の言わんとすることを分かりやすく証言し、また不明点・疑問点について裁判官や被控訴人代理人から直接お尋ねいただけたら、忌憚のない証言をする予定です。
以 上