「おまえのは概念法学だ。職務上の研究で実施した実験のノートが私物扱いで済むはずがない。バイオムラではそう考えないと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ。そのようなばかばかしい理由づけをするなど、もってのほかである。そんなことをするような人間は法律家をやめてしまえ。」
かつて、「国敗れて3部あり」と名を馳せた東京地裁行政部の藤山雅行判事はこう述べた。
「法律家の仕事は同時代のみならず歴史的な評価にも耐えるものでなければならない」
今日の一審判決は、改めて「先端科学技術の真相は市民の前に明らかにされてはならない、闇の中に封じ込めておく必要がある」という考えを確認したものである。このような考えが歴史の審判に耐えるはずがない。
とはいえ、歴史の審判は自動的に下されるわけではなく、歴史の審判は私たち無数の市民一人一人の営々とした、たゆみない営みの積み重ねによって初めて成就する。その成就に向け、福島原発事故のような人類の運命を根底から覆すような力業を持った先端科学技術の闇をあばき、先端科学技術を市民の手に取り戻す(シビリアン・コントロール)取組みに励むこと、それが命を未来につなぐ私たちに課せられた課題である。
(※)80 年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から
「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」
とこっぴどく叱られた(「ある法学者の軌跡」66頁~)。
本日言渡しの一審判決全文-->PDF
以下の画像をクリックすれば判決全文が表示。
(※)80 年前、若き川島武宜は研究会で判例の報告をした際、末弘厳太郎から
「そのようなばかばかしい判例評釈をするなど、もってのほかである。そんな判例研究するような人間は、法律学の勉強をやめてしまえ」、2回目の報告でも「おまえのは概念法学だ。稲というのは現実に植えつけた人間のものにならないはずはない。ドイツでそうでないなどと言ったって、そんなことは理由にならない。問題の実質をよく見ろ」
とこっぴどく叱られた(「ある法学者の軌跡」66頁~)。
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